うろうろとする日々

特別なテーマはありません。読書、バスケットボール、クラシック音楽などについての記事は多いかもしれません

FIBAアジアカップ2025(男子)

FIBA ASIA CUP 2025はベスト4まで出そろった。

イラン、中国、オーストラリア、ニュージーランドであるようだ。

日本が負けた中ではイランは台湾に3点差での勝利、レバノンニュージーランドに4点差負け。それ以外では中国は韓国に8点差勝利ということだ。

こうしてみていくと、ベスト8の中は結構力が均衡しているように思える。一見するとイランとはいい勝負だったので、ここに勝てれば台湾にかって、ベスト4ということを考える向きもあるかもしれないが、逆に言うと現在のメンバーではベスト8には残れそうもなかったとも言えるのではないだろうか?各国とも帰化選手なども入ってかなり強化は進んでいるように見える。

ということで、なんだかJBAfacebookの投稿は男女とも頑張りました、みたいな感じだが、実際の中身は相当違って、女子はある程度世界をみてもそれなりのレベルを保っているように思えるが、男子はどうだろう?

日本は一時、NBA八村選手、渡辺選手が入り、オーストラリアにも勝利した。しかし、今はレバノンに手もなくやられてしまったのが単に開催場所の問題というのか?それであればぜひともイランとなどとは東京で再戦してほしいものだ。

直前の強化試合は中東の国を想定したものとは思えなかったし、男女ともそのような協会側の問題も感じるのだが、特に男子は今後どうなっていくのだろうか?NBA選手のスケジュールなどわかっているわけだから、それに合わせた強化を行っていかないと、ロス五輪はそれほど簡単ではないと思うのだが、、、(これは女子もか)

釜本邦茂氏の逝去のコメントで気になったこと

サッカーの釜本氏がなくなった。ご冥福を祈りたい。

さて、ここで気になったのが、サッカー界で有名で、早稲田大学の同窓でもあるK氏のコメントだ。

「日本人では100年にひとりのストライカー」というようなことをもちろん褒めるいみでいったようだ。

しかし、なんといか、”日本人”という限定をつける意味はなんだろう。世界の中ではもっとすごいひともいるけど”日本人では”ということか?

しかし、例えばMLBにもよくいるように、日本から海外移住したひとの子孫がアルゼンチンの代表に選ばれたりすることもあり得る。このときにK氏のようなひとは、”日本人”としてみてくれるのだろうか?

もしかすると、日本人というのは日本の学校を出て、ある種の枠の中にいるひとのことをいうのだろうか?それはなんとなくわからないこともなく、おそらくバスケットボールのプロリーグなどでは男女とも苦労するところだろう。何しろ今や、日本の高校を出て米国の大学にいくような時代だ。しかしそういう選手でも日本の高校を出ていたり、逆に外国の高校を出ていても、日本の大学を出ることで、何かしらの身元引受人のようなひとができれば、日本のプロリーグで受け入れてくれるように思うのだがどうだろう。

とここまで書いてきて、もしかしたら、こういった”日本人”とは、という問題こそが、これまでの”日本の”企業が悩んできた問題なのかとも思う。

 

高校野球取材とセクハラ

以前朝日新聞の女性記者が、高校野球の取材で、地域のチームの宿舎に同宿したところ、監督などからセクハラにあったような記事があったと記憶する。

その後どうなったのだろう?

朝日新聞NHKはそのようなことへの対策をちゃんととっているのだろうか?

そういったことへの対処の不足は強豪校の監督であれば何をしても許されるような雰囲気を醸し出し、それを見ている生徒も真似していくのではないだろうか?

今回の広島の件も表面的なことだけでなく、高野連が暴力やセクハラといった世間で問題になることはきちんと対応できるようにする、ということなのではないかと思うのだが。まあそもそも連盟の中で理事とかそう言った人たちがそういう体質であることがもんなのでしょうけど

かけるクラシックのすばらしさ

NHKFMかけるクラシックはなかなかすばらしいと思っている。

高校の吹奏楽部が野球の応援をすることについて、「楽器によくない」といういいかたで美談にはしない感じである。

先日は川柳のコーナーに甲子園のスタンドに吹奏楽の楽器が見えるようすを描写した作品について語る際に、「吹奏楽の強豪校にはコンクールに出るメンバーではないメンバーがでるようにしてたりするようですけどね」(正確な引用ではないです)というようなことを言って、よくある「吹奏楽部がコンクール出場と折り合いをつけて甲子園にかけるつける」というような美談とはかけ離れた実態?を暴露したりもしていた。

さりげない日本の学校で当たり前と思われることへの懸念の表明ともあいまって、この季節の高校野球に関しての美談がいやというほど流れる日々に清涼剤として聞いた。先日は原爆小景も流されたし、立派なものである。

野球の応援は学校や企業などが一丸となって応援するのが当たり前、というような風潮がいつから定着したのかはわからない。むしろ最近のほうが激しいような感じもある。そもそも小学校でさえも親が練習の手伝いにいったりして、そのあたりから応援も始まるらしい。なんだかなあという感じだ。

応援というのは学校での運動会なども含めたキーワードなのだろう。確かにひとを応援するというのは集団の中では大切なことだ。会社などでも、あるいみ部下や同僚を応援する場面などもあるのだろう。しかし、何かそれがヒロイズムのような物語に収斂される時、話は非常に危険な方向に行きかねない。かけるクラシックでのコメントはある意味そういったことへの警鐘としても受け止められる。

しかし、残念なのは、日本の学校ではこの番組への投稿によくみられるように、音楽自体が体育会的なものになってしまい、”朝から晩まで合唱の練習をしました”みたいな投稿があるいみ楽しそうに紹介されることがあることだ。ぜひとももっとそういった慣習への違和感を言って欲しいのだが。

関係ないが、昭和時代でも別のスポーツでも、テレビに映るようなゲームには応援がある程度あるようにしてくれと言われるようなことを聞いたような気もします。結局テレビ局の都合か、、、

---------------------------------あとから追記ーーーーーーーーーーーーー

8月10日の放送では林光氏の原爆小景が流れた。これはハーフである市川紗椰氏にとって微妙な話題だったような気がするが、それを取り上げたスタッフと、市川氏の度量の広さに感謝すべきだろう。

しかし、解説で3部といっていたのはどうなんだろう。現在は4部なのだが、、、

------------------------ここまであとから---------------------------

 

 

高校野球のあの問題

日刊スポーツによると、広島広陵高校では、辞退を決めたとはいえ、校長の話を読むと、何か混乱する世間を鎮めるためのような感じです。なんだか自分たちが被害者のような感じでどうもなあと思います。

そもそもは、高野連というところはこういうことでも直接ヒアリングなどをするのではなく、学校からの報告だけで処分を決めるというすごい世界であることがわかりました。これでは学校が今回そうだったと世間で言われているように隠すことを意図する、または、被害者側と合意ができてなくても一方的な報告をつくることに歯止めがありません。また、今回どうするかというのに、予選開始前に辞退すれば、というひともいますが、そうではなく、本来は、隠そうとした学校関係者がなんらかの咎をうけなければなるますまい。一方的に生徒を悪いとして、辞退すればいいというものではなく、刑事的な責任も含めて、責任のある人たちを明確にして、あとは残りのメンバーで出場すればよかったのではないかと思うのですが。もちろん、監督やコーチがすべて処分されて、チームとして成り立たないようになってしまった場合はどうするかという問題はありますが。

とにかく、今の高野連というところの学校(監督などの大人)は正しくて生徒の誤りを正してくれるところ、みたいな前提はもはや成り立たない、というのはもうほかのスポーツではいくらでもあった話だし、野球も少年野球などではよく問題になることです。そういった虚構の中にいられないことがよくわかった以上、学校の独自性に任せることはもう難しいでしょう。むしろ高校野球の大人の側がどのようにコンプライアンスを守っていくような体制を作れるかということにかかっている問題ではないでしょうか?

朝日新聞(8月8日朝刊中小路徹氏)

上下関係でチーム維持する考え、やめてはどうか 編集委員・中小路徹 - 高校野球:朝日新聞

広島広陵高校の件について、朝日新聞が言い訳的な記事を出してきた。

本当に問題なのは、問題が発生した後に学校側の対応が最悪だったというかこれが普通になっていることではないだろうか。特に監督などの責任は大きいように思われる。発生したのはまだ生徒なので、何かしらのそれはそれ感があるが、学校はそういったことにきちんとした”指導”をしなければならなかったと思う。それなしで、”ないこと”にしようとした責任は思い。その点についても朝日はちゃんと書くべきだったと思う。なぜかというと高校野球はやはり学校として出場するものであると思うからだ。

中小路氏の歯切れのよくない記事はもう一歩書くべきだったのではないだろうか。

なお、SNSでは握手どうこうといっているひとがいるようだが、礼をした以上そのあと握手はオプションで、逆小生などは不思議だと思っているのだが。例えばプロのバスケットのように、一列で順番に握手していくなどであればわかるのだが。一層野球もそうしたらどうだろう。学生スポーツは例に始まり例に終わるというあれもやめたらどうかというきもするのだが。建前が過ぎる気がするので。今回予選のテレビをみて、強豪校でデッドボールを当てられて選手が過剰と思える反応をしたのをみたが、思い出すと昔西東京大会の決勝でも最初優勢だったチームが途中でデッドボールを含む内角攻めを相手が始めてから得点が止まって最後逆転されたことがあった。その後優勝チームは甲子園でもいい成績をあげ、さらにその、地方大会決勝ではちょっとダーティーじゃないかと思うやり方で勝った投手は人気者になった。あとでナンバーを読んでいたら、そのころのそのチームについて、”ワイルドだった”と評していた同時期の高校生がいたので、西東京ではそういうチームだったのだと思う。地方予選ではそんな感じが結構横行しているとすると、礼どころじゃないですな。まあもう野球もやる人も減ってアマチュアも衰退の一歩と思われ毎日新聞朝日新聞も余裕がなくなってくるとかなり危機的状況なのだろうけど。今後どうするのだろう。

なぜ?どうして?

【甲子園】7日初戦の広陵が声明 暴力行為認め部員を既に処分 大会本部「出場判断変更なし」 - 高校野球夏の甲子園 : 日刊スポーツ

だそうだ。どっちかというと高野連や主催者の朝日新聞の問題だろう。

警察に届け出ていたならまだしも、いまどき暴力については厳しい対処をしなければいけないのになあ、という感じだ。

しかし逆に暴力について、いろいろと整備されているのはバスケットボールとサッカーくらいであとのスポーツでは起こりうる問題なのかもしれないと思う。

例えば体操やアイススケート、新体操などこういった問題が断片的に伝えられてもそれでおしまい。結局なんだったのかははっきりしないしマスコミも追いかけない。

野球をはじめマスコミの問題も多くて結局朝日新聞もこういった問題を報じて学校から嫌われたくないのだろう。そうなると結局は某県知事のように自分からやめなければそのままと。あちこちでそういうことは起きていて、朝日新聞自らやってるわけでなんともだ。